到津八幡神社とは
到津八幡神社とは

御由緒

御祭神

到津八幡神社の御祭神はこちらです。

  • 応神天皇
  • 神功皇后
  • 多紀理比賣命
  • 多岐都比賣命
  • 市寸嶋比賣命
  • 豊日別命
到津八幡神社

到津八幡神社の歴史はまことに古く、神功皇后が三韓征伐の後、宇美の里で御子応神天皇をお産みになり豊浦宮へお帰りの時、御座船を当地に着けられました。後に一祠を建て皇后の和魂をお祀りしたのが当社の起源といわれています。神功皇后の御霊をお祀りしたことから、人々は安産を願うようになりました。社前の川水を汲み、産湯として使われるようになったといわれています。
現在、この川は板櫃川という名称ですが、別に「産川」(ウブカワ)とも云います。また、川の付近には「産川町」という町内もあります。

文治4年(1188年)宇佐八幡大神を勧請し、祭祀には宇佐の支族が任ぜられました。永禄4年(1561年)大友義鎮が宇佐宮を攻め廟社堂一宇も残らず焼きはらいました。やむなく、宇佐宮の神官・社僧は神輿を守護し奉り、天正11年(1583年)までの23年間、神璽を到津社に遷座しました。以後、細川氏・小笠原氏の篤い崇敬を受け社殿等の改築がなされ、現在に至っています。

到津八幡神社

小笠原忠眞公は、下総國古賀の御誕生にて御産土神は雀宮大明神なり。しかるに寛永9年(1632年)12月、公小倉の御城に御入城ありし砌、当御城地は、到津八幡宮の御敷地也と聞かせられしによりて、此の神をも、公の御産神に立給わんとありて、翌年正月15日、到津社に初めて詣でられ御神拝。後、神職川江大膳種勝を公御前に召し、自今は当八幡宮を公の御産神に崇敬し給うべし。後々に至るまでもこれを家式になし、との御意也。
~「新旧雑録」より

慶長年中(15世紀)國主細川越中守源忠興候當社再興あり 豐城の産土神と尊崇し給ひ本殿拝殿浮殿に至るまで建立あり 元和3年(1615年)神領20石の地を寄付し神官をも補し給へり
~社記より

神社建築

明治5年に1300年祭。昭和49年の1400年祭で拝殿・神楽殿を改築。
昭和59年の1410年祭で神輿庫を建立。
平成25年の御改修事業では祈願者控室の増築、第二授与所の増築、参拝者休憩所の新築を行いました。

拝殿

  • 平成25年に増築した第二授与所。第二授与所
  • 平成25年に新築した参拝者休憩所。
    通常はお参りの方の休憩スペースですが、お祭りの時にはイベントスペースとして活用しています。

    参拝者休憩所

  • 神社の幣殿の風景です。細川忠興が小倉城に入城後、当社の由緒を知り、産土神と崇め篤く崇敬し再興しました。また後には、小笠原氏の厚い崇敬も受け、神殿・拝殿の改築がなされました。拝殿
  • 手前が拝殿(参拝者が参列するところ)
    拝殿は、昭和49年に斎行された1400年祭で改築されたものです。
    奥が弊殿(神職が祝詞を奏上するところ)

    拝殿と弊殿

  • 写真では見えませんが、更にその奥が本殿(神座)
    現在の本殿は明治29年に建て替えられたものです。▼本殿には海の生き物の彫刻が施されています。

    拝殿と弊殿

  • 平成25年に増築した祈願者控室祈願者控室外観
  • 祈願者控室の内観祈願者控室内観
  • 宝暦10年(1760年)小笠原忠眞により、本殿・幣殿・拝殿及び若宮社等が再造されている。同年、公より神輿の奉納あり。
    神輿は安政4年(1875年)に修復されたが老朽著しく、昭和53年に氏子崇敬者の御協賛により新しく神輿を奉製。現在は、境内に神輿庫を建て新旧相並べて奉安している。

    本殿・幣殿・拝殿

氏神様

氏神様とは、「氏」の「神」と書くように、古代の氏族組織(血縁関係にある一族)であるウヂが祖神または守護神として祀っていた神のことでありました。
現代社会では、引越しや転勤等で居住する地域が変わってきています。よって、現在では当初の氏族だけでなく、その地域に住んでいる人も含めて氏子と呼ぶようになりました。
また、産土神とは生まれた土地の神様を指します。特にお宮参り等では産土神に詣でます。

様々な人生儀礼、その他のお祓いを受ける場合には、居住地域の氏神様にお参りしましょう。氏神様が分からない場合は、近くの神社にお電話されるとよいでしょう。

到津八幡神社の氏子区域

(その昔)到津には到津荘という荘園が形成されました。(11世紀初め)かなり広い地域に及んでいたようで、「八幡宇佐神宮領大鏡」という書物によると

到津荘の四至(シイシ)~東西南北の境界~
東限は小駅岳(コエキノオカ)並びに大路 西限は筑前遠賀との境  南限は高坏山(タカツキヤマ) 北は海を限りとする

とあります。さて、上記の記述を現在でいうとどの辺りになるでしょうか?

  • 東限の小駅岳は諸説あるようですが、到津から東に向かってある丘となると、現在の小倉城から勝山公園にかけての丘陵地帯ではないでしょうか?
  • 西限の筑前遠賀との境は小倉と戸畑、また豊前国と筑前国を分ける戸畑区の境川です。
  • 南限の高坏山はどの山を指すかは不明であるが、現在の八幡東区の槻田付近である。
  • 北限は、日明地区にある西港付近の海でしょう。

小倉城の産土神として当社が崇敬されていたことからも推察できるでしょう。

現在の到津八幡神社の氏子区域は下記の8校区です。

  • 到津校区
  • 井堀校区
  • 泉台校区
  • 西小倉校区
  • 清水校区
  • 中井校区
  • 北小倉校区
  • 日明校区

概ね町内単位で区切られています。
※泉台校区・清水校区・西小倉校区の一部は氏神様が異なりますのでご確認ください。

氏神様についてのお問合せ 【到津八幡神社】TEL:093-561-2051(8:30~16:00)

ご利益
【 到津八幡神社の御神徳 】

  • 安産とお子様の成長守護

    当社の御神徳の筆頭に挙げられるのが「安産守護」でございます。御由緒にもあるとおり、母神、神功皇后さまが社前の川水を産湯に使われたことから
    地域の方々が、安産を祈願するようになりました。皇子さまはすくすくとご成長され、幼き頃から聡明であり、応神天皇としてご活躍されたことから、「安産とお子様の成長守護」としての力もございます。

    子守犬

    「子守犬」です。お子様の出生を神様に御報告しますのと無事成長を祈願するものです。到津八幡神社オリジナルです。
    「子守石」にはお子様の生年月日とお名前を書いて 子守犬に奉納します。

  • 水陸交通の安全の神

    石灯篭

    また、「到津」という名前の由来にもあるように、神功皇后様の船が無事に到津の港(津)にたどり着かれた事から「水陸交通の安全」の神としてもその霊験あらたかです。

    神社下、川沿いにある大きな石灯篭は、嘉永5年(1853年)、当社が小笠原藩の氏神であり「雨乞」「日乞」の霊験あらたかであったことから、企救郡(小倉北区・小倉南区・門司区・八幡東区の一部)の各庄屋が御礼のために灯明田を添え奉納したものです。企救郡全体にかかわる「雨乞い」「日乞い」は当社を中心として行われていました。

  • 開運厄除け・家内安全・除災招福の御利益

    お守り

    「悪いことが続く」等の理由から、市内外から祈願に来られます。開運厄除け・災い除け・ご家族の無事安泰の家内安全の御神威がございます。
    「邪気退散のお札」「お守り」「除災割札」「家内安全神札」等様々な授与品を準備しています。

  • 商売繁盛の神

    稲荷神社

    境内に勘定稲荷神社 錦春稲荷神社があります。この二柱の稲荷大神は小笠原、水戸家代々の崇敬厚く「財産守護の神」、「火伏の神」、「家内安全の神」としてお祀りしています。